上富田のジオサイト

市ノ瀬の河岸段丘
一ノ瀬の河岸段丘最大幅が550m、長さ約1kmにわたる上富田町最大の河岸段丘です。地形を利用して造られたため池や、江戸時代の水路は今も灌漑に使われています。今は多くの住宅が建てられていますが、川に沿った段差を利用して建てられているため道は細く、乗用車1台が通るのがやっとで、地図に書いても部外者は分からない。宅配業者や学校の先生にはやっかいなところとなっています。

階段状の地形
階段状の地形を利用した畑や宅地が見られます
住宅地
階段状の地形を利用した住宅地
ため池
このようなため池がたくさんあります
救馬溪観音浸食地形
役行者が開いたとされる修行場があり、小栗判官の伝説も残されています。瀧王神社の背面には、付加体とそれを覆う前弧海盆堆積体の不整合と呼ばれる地質現象が観察できます。不整合直上の厚い砂岩礫岩層は風化や浸食に強いために、救馬渓の断崖が形成され、その上に救馬渓観音が建てられています。
彦五郎堤防
彦五郎堤防は富田川の右岸に位置し、約1kmにおよぶ長大な堤防です。氾濫を繰り返した富田川の治水のために人柱になったという彦五郎の伝説がある堤防です。堤防上に4基の石塔が建ち、1基は人柱彦五郎顕彰碑、1基は明治洪水招魂碑です。
下鮎川の河岸段丘
富田川右岸の鮎川地域には、小規模ですが典型的な河岸段丘が見られます。3段にわたる河岸段丘のうち最も広い段丘はていねいに耕作されています。
一ノ瀬王子跡
一瀬王子跡熊野詣において、稲葉根王子で馬を捨て、最初に川を渡った場所が一ノ瀬であったといわれています。川から山を少し上った小高い位置にあります。
富田川の河替え跡
富田川の川替え跡かつては、暴れ川といわれた富田川。一瀬王子周辺の市ノ瀬地区の富田川川床には、450年も前の河川改修の跡が残っています。平成23年の紀伊半島大水害で回収の跡が見えていましたが、今は土砂に覆われています
田中神社の森
富田川の支流岡川のそばにこんもりと茂る森が見えます。南方熊楠が名付けたオカフジで名高い田中神社の社叢です。すぐ横には大賀ハスのハス田もあります