国道42号線の道沿いに木に囲まれた高さ2メートルほどの盛り土のようなところがあります。ここは古来、糠塚と呼ばれています。以前はイチモリ長者が勧請したという弁財天の祠があって、俗にヌカヅカさんといわれてきました。しかし、明治42年の神社合祠励行(神社の合併)のとき、旧朝来村(上富田町)神社に合祠されました。
この一帯は排水の悪い低湿の沼田で、朝来のヌー(沼)と呼ばれていました。昔、この付近に住んでいたイチモリ長者が、ある年の田植の時、三段歩(30アール)ばかりの田が植え残り、日が暮れかかったので、金の扇で夕日を招き戻して田植を済ましたが、長者の稲には小米しか稔らなかったといいます。その小米と籾殻を棄てたのがヌカヅカになったといい、また夕日を呼び戻した罰で良田が沼田になったともいわれています。
この糠塚は古墳であったらしく、明治末から大正初年にかけ、ひそかに盗掘されたといわれています。ヌカヅカの地名は各地にあり、「米糠を捨てた塚」の説と「礼拝塚(額づく)」説の両説があります。長者の墳墓にヌカヅクの意味の、糠塚とも解せられるが、本宮町三里の伏拝(フショガミ)が熊野本宮を伏し拝む地名のように、熊野本宮を遙拝したところであるとも伝えられています。かつて南方熊楠翁はこの沼でメダカに着生する藻を発見しています。
糠塚の弁天さんには、年越の晩から付近の村からの参詣人が多く、境内に杉の扇子をぶら下げており、最初にそれを見つけて取った者が、一番の福を得るといわれます。また競馬に出場する馬のクツ(草履、昔は鉄を打ち付けず藁のクツ)を道中で拾った者に福があると信じられていました。(鴻池の先祖も馬の履を拾って開運したといわれています。)
<熊野文庫より引用>