石田川

上富田町を流れる富田川は昔、石田川と呼ばれていました。石田川のほとりに、熊野部千与定という猟師が住んでいました。ある日山で5メートルにもなる大猪に手傷を負わせたが、しとめることができず、跡を追って石田川の奥山を越え、熊野の大湯原というところまで行くと、大猪はイチイ樫の大木の下で死んでいました。
深追いをして夜になったので、千与定は猪の肉を食べてイチイ樫の木の下で仮寝をしていると、イチイ樫の枝に三面の月がかかっているので不思議に思い、「月は何故に天を離れて、木の枝にいるのですか」と、問うたところ、月は「われは熊野三所権現である。一社を証誠大菩薩と申す。今二枚の月を両所権現と申す」と仰せられました。
千与定はびっくりして手を合わせて拝んみました。早速柴をとって来て、木の下に三つの宝殿を造りお迎え申し上げると、三枚の月はそれぞれ御宝殿へお遷(うつ)りになりました。
千与定は近くに仮小屋を作り、三体の神様に奉仕していたが、数日後に石田川の千与定の家に、一人の旅の修行僧が宿をとりました。僧は千与定の妻に「この家の主は誰か」と尋ねました。妻は「夫は大猪を追って山に入り数日になりますが、まだ戻りません。或は猪に食われて死んでいるのではないでしょうか」と悲しそうに答えました。
僧は千与定の家にしばらく滞在していると、千与定がひょっこり帰って来て、僧に熊野権現の降下された由来を語ったといいます。僧はこれを聞いて千与定に道案内をたのみ、三社に参詣しました。そうして紀伊国の人々にひろく知らせて回ったといいます。この僧は禅洞上人であったといわれています。

<熊野文庫より引用>